宮城県仙台市にある在宅支援チームフォーレストの役員(理学療法士)がつづるブログです。
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※掲載されている写真は、個人情報保護法に基づき許可を得て掲載されています。

滋賀にて 第3話

 

滋賀県にて、理学療法士や作業療法士の方々にお話しする機会をいただきました。

第3話

 

(2)必要に応じその必要量を提供する(提供できるようにしていく)

回復期リハビリテーション病棟

 

リハ医療の主戦場である回リハ病棟でも、大きな改定が行われました。

入院料について3種類から、『実績指数』により6種類に分けられることになりました。

加えて、これまで算定制限の基準になっていた『実績指数』が、入院料区分の基準の一つに変わりました。入院料気錬械薫幣紂入院料兇錬械旭幣紊噺靴靴た値が設定されました。

この『実績指数』とは、端的に『FIMの1日当たりの改善点数』になります。

FIMを改善するだけではなく、より短い期間で改善させる必要に迫られることになります。

 

 

回復期リハ病棟に入院適応となりうる患者さんの中で、この『実績指数』を高く出しやすい患者さんと、出しにくい患者さんがいると言われています。

従って、より『実績指数』を高く出しやすい患者さんの獲得競争が現存していると言われており、もしそうであれば今回の改定により、拍車がかかってしまうものと思われます。

更に、回復期リハ病棟における集中的なリハが必要にもかかわらず、『実績指数』などにより、入院できない患者さんや、必要以上に早期に退院となる患者さんがいると言われており、もしそうであれば今回の改定により、拍車がかかってしまうものと思われます。

 

厚労省は、この点について中医協で否定しています。

厚労省は、▼在棟期間が長くても、ADLは改善する▼疾患などの患者に状態によって一定のバラつきがあるものの、重複も相当程度ある▼実績指数と年齢・入棟時FIM(運動項目)との間に相関はないと調査分析しています。

つまり「在棟期間の長い患者でもADL改善効果があるので、『追い出し』などをする必要はない」「ADL改善効果の出にくい疾患・状態はなく、受け入れ拒否をする必要はない」「高齢者や入棟時にADLの低い患者であっても、リハビリによりADLは改善され、受け入れを拒否する必要はない」ことが明らかになったとしています。

 

いずれにせよ、『必要に応じその必要量を提供できるようにしていく責任』において、主戦場である回復期リハ病棟にしかできない集中的なリハの必要性を真摯に判断し、『実績指数』が出しづらい患者さんであればなおのこと、果敢に挑んで結果を出していくことが、理学療法士や作業療法士の価値であると信じます。

 

 

また、今回は以下の改定が行われました。

・回リハ病棟から退棟後3ヶ月以内の患者を算定日数上限の除外対象に追加

・条件を満たした場合、回リハ病棟入院料における病棟専従の要件を緩和

・医療保険の疾患別リハと介護保険の通所リハを同時に実施する場合について、施設基準を緩和

・訪問リハと通所リハの大幅単価増(医師の関与によるマネージメント加算)

 

これらにより、『回リハ病棟+通所リハ+訪問リハ』が一体運用されるようインセンティブされています。

回リハ病棟を持つ医療機関における通所リハの実施率は46%、訪問リハの実施率は54%に留まっています。

『実績指数』と『必要に応じその必要量を提供できるようにしていく』ことを両立させていくためには、入院だけの視点に留まってはならないと考えます。

これらの一体運用を通して、また後話する具体的連携を通して、その責任を果たすことができるようにしていく事が必要不可欠になると考えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

Posted by : forest-hokke | 社会保障を考える | 08:37 | comments(0) | trackbacks(0)| - |
滋賀にて 第2話

滋賀にて、理学療法士や作業療法士の方々にお話しする機会をいただきました。

 

(2)必要に応じその必要量を提供する(提供できるようにしていく)

  主に一般病棟を想定して

 

在宅支援の場に立つと、理学療法士や作業療法士のフォローを受けずに退院してくる患者さんが多い事を知ります。

そして、それが患者さんの不利益になっていると感じる事が少なくありません。

 

皆さんが勤務されている病院において、運動機能や能力、生活機能に変化が起きた(起きる)にもかかわらず、理学療法士や作業療法士のフォローが無いまま退院なさる患者さんは、どの程度いらっしゃるでしょうか?

ぜひ一度、外界を見回していただきたいと思います。

如何でしょうか?

 

 

「退院調整加算」から「退院支援加算」、そして今回「入院時支援加算の新設」「 退院支援加算への名称変更」のインセンティブにより、病院全体で『入退院支援システム』が整備されている病院が多いことと思います。

理学療法士や作業療法士が、このシステムによって病院全体に、そして診療科を横断的にかかわることができれば、患者さんにとってとても有益ではないかと思います。

 

システムのスクリーニングによる早期抽出に基づいて、

幅広い診療科の医師による判断により指示を得て、

『障害や運動機能・能力の見地から、生活の見通しを説明し、想定した生活に向けての適応練習や連携業務を行い算定する』

 

 

命題である早期退院・在宅復帰・連携に貢献していくことは、理学療法士や作業療法士にとっても必要不可欠です。

いわゆる“退院させられる”という感覚を少しでも減らし、「退院できる価値」を生産していく横断的なチームに加わることができれば、新たな世界観が広がっていくと信じます。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 “退院時共同指導料”

病院の医師及び看護職員が実施した場合に限られていましたが、「理学療法士や作業療法士、薬剤師、管理栄養士、社会福祉士」が実施する場合も算定できるように見直されました。

 

“一般病棟”

7対1病棟が増えすぎているものの、10対1病棟との差異が大きいために10対1病棟への再編が進まないと分析されていました。そのため7対1病棟を3つに細分化し、再編用の入院料2と3を設けることで、再編に向けてインセンティブがなされました。

 

Posted by : forest-hokke | 社会保障を考える | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0)| - |
滋賀にて

滋賀にて、お話しする機会をいただきました。

 

 

 

お声がけ下さったのは、代表や私が学生時代から尊敬する冨田昌夫先生です。

治療概念の教科書として代表や私を育ててくれた“Steps to Follow”“Right in the Midlle Perception”を当時次々と翻訳され、研修会で幾度かご指導をいただいた先生です。

また、研修会での質問に対して繕うことなく「それは、わからない」と答えられている姿に、臨床やリーズニングに対する謙虚さや誠実さ、成長するための原点をも示して下さいました。

3年前より、弊社研修会にお越しいただいているのですが、その姿勢は変わらず、新たな概念や手法に貪欲に挑まれ、常に進化されておられます。

 

さて私は今回、診療報酬や介護報酬改定をも踏まえて「専門領域を社会から委ねられているからには、社会に対して『果たすべき責任・義務』がある」という話をさせていただきました。

社会に対して『果たすべき責任・義務』とは

委ねられた専門領域について

(1)より良質なものを提供する(提供できるようにしていく)

(2)必要に応じその必要量を提供する(提供できるようにしていく)

ことが基本だと考えています。

 

(1)では、昨今の制度改正や報酬改定が患者さんに及ぼす影響を踏まえて、治療概念をそれに適応させていく取り組みの必要性について触れさせていただきました。

冨田先生も、早期過剰代償、褥瘡予防対策の弊害などを通して、具体例を説明して下さいました。

弊害を憂うに留まることなく、ならば弊害を押さえ込みつつ求められる結果(敢えて言えば、求められる数値)を出していく事が『果たすべき責任・義務』だと思うのです。

この視点での研鑽が活発に議論され、道が示されていく事を願いつつ…

 

 

第2話につづく   かな?

 

 

 

 

 

Posted by : forest-hokke | 社会保障を考える | 21:53 | comments(0) | trackbacks(0)| - |
同窓会 〜2025年問題〜

 国立仙台病院附属リハビリテーション学院同窓会(紫陽会・現仙台医療センター・2008年廃校)で行われたシンポジウム。私に与えられたテーマ「2025年問題」をまとめてみました。予定を大幅に超える120名程の参加者で立ち見もでていました。

 

鼎談「これからの在宅支援」

司会 株式会社リハサポート桜樹 大友昭彦先輩

   株式会社孫の手・ぐんま 浦野幸子先輩

   有限会社在宅支援チームフォーレスト 望月謙一

   株式会社わざケア 渡部達也くん

 

 

2025年問題」

人口構造により生じる様々な問題の「象徴的な総称」です。既に日本の総人口は減り始めました。団塊の世代(194749年生まれ)が75歳を超えて後期高齢者人口が最大となり、65歳以上の高齢人口がおよそ最大になるのが2025年で、認知症患者も最大になると推計されています。高齢化率は3割を超えてきます。しかし残念ながら、2025年が諸問題のピークで、2025年を乗り越えれば良い方向に向かうという話ではありません。その後の高齢人口はおよそ変わらないものの、総人口が減り続けていくので、高齢化率は2025年以降も上がり続けていくのです。このまま無策で、単に労働人口が減り、GDP(国内総生産)が減り、社会保障費が増えるとなると社会保障制度が維持できなくなるという論で、象徴的に言われているのが「2025年問題」です。

高齢人口.jpg高齢化率.png

 

今回は、マクロ経済の切り口で少し考えてみたいと思います。様々な専門家が様々な議論をしていますが、私はGDPを増やしていくことにより、社会保障費のGDP比率の上昇幅を抑えていく方策に尽きると考えています。反対に財務省は「社会保障と税(消費税)の一体改革」という緊縮財政政策をすすめようとしています。消費税を、まるで社会保障の人質のように扱っています。しかし、社会保障費を削減しても、消費増税しても、将来不安を助長してしまってGDP6割を占める個人消費はかえって落ち込み、将来不安解消への預貯金は増え、結局のところGDPは停滞し、悪循環が生じていると考えています。そもそも論として、豊かな寛容な国ではなく、貧しい利己的な国になっていくと考えています。(http://forest-hokke.jugem.jp/?eid=94

 

自助によって、一人当たりのGDP、一人当たりの生産性をあげる余力はまだまだあると言われています。「天は自ら助くる者を助く」という紀元前から続く格言があります。豊かになる努力、努力ができる環境とそれが正当に報われる環境を、老若男女の全て、個人も法人も、そして自治体や国も、本気で考えて、本気で努めていかなければなりません。すべきことは山ほどあります。特記すべきことは、自助を政策論で言うなら、「豊かになる努力ができる環境、それが正当に報われる環境」を先に再構築しなければなりません。バブル崩壊以降、大きく歪んでしまっている点の一つだと思っています。

同時に経済活動に参加する労働人口を増やして、GDPをあげていくことが必要です。高齢者や女性、障がいを持たれても労働人口に加わっていくことです。単純化して批判を浴びやすい点ですが、経済活動に多様な形で参加することの意義は、誰もが知っているはずです。また、出生率を上げていくことです。

自助については、利己的、自己責任論、競争主義、市場原理主義的な感覚が強くなり過ぎたため、寄り戻しが必要とも言えます。「互助や共助の精神が自助を育む」という考え方が望ましく、日本人に脈々と流れ続けてきた素地だと思っています。社会的責任を果たそう、社会に貢献しよう、助け合おうという相互扶助的精神が、自助を育み、努力や効果を最適化するのだと思います。そして得られた豊かさを分かち合う、適切に再配分していくことが「社会」というものだと思います。

 

 互助については、ボランティア活動や市民活動が強調されますが、対価を得る有償という意味での生産性を持つことが大事だと思っています。活動継続へのインセンティブ、労働人口増加、GDP、社会保障費削減に直結するからです。

 

共助や公助は、強すぎたり、不公平感が強くなると「自助や互助を阻害する」と言われています。単なる費用削減をテーマに社会保障制度改革をするのではなく、あるべき姿をテーマにして社会保障制度を改善すべき課題は山ほどたくさんあると言えます。

 

 以上、2025年問題をマクロ経済の視点から少し考えてみました

 

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(追記編)

 

ここまで話してきたようなことは、病気や障害を持たれていても同じだと考えています。自立生活運動、脱施設運動、ノーマライゼーション、権利と義務、自己決定の尊重などを土台に持つ「リハビリテーションの理念」にも沿うのもと思っています(前提として、多様な価値を尊重があってのことです)。この理念が、フォーレストの理念ですし、全職種に共通しえる理念だと思っています。

 

 自助には、豊かに人生を終える「終活する」努力も含まれます。リビングウイル、在宅看取り、緩和ケアなどもその一つだと思います。訪問看護ステーションで日々行われるミーティングで、命の残り時間が短すぎる段階からの介入になればなるほど、支援が難しくなり、支援に悩み苦しんでいる現場の姿を毎日耳にしています。病気になる前から、せめて告知を受けた段階から、終活に向けた支援が幅広い分野から共に進められていく体制を、模索していきたいと思っています。

 

PTOTは、共助や公助の制度の中に留まることなく、自助を育くむビジネス、互助を育てるビジネス、互助をシステム化していくビジネス、共助や公助を補完する隙間を埋めるビジネスなどなど、PTOTの力、リハビリテーションの理念を強みとして考えていけるビジネスモデルは、山ほどあると考えています。

(例えば千葉代表のいう顧客参加型ビジネス(人員基準緩和の方向性により具体性がより見えてきました)、石川県で見学佛子園さんhttp://www.bussien.com/index.html#/してきたような多様な事業の組み合わせによる互助ビジネス、就労移行支援A型など雇用創出ビジネスなどなど)

 

 

 

 

 

 

Posted by : forest-hokke | 社会保障を考える | 13:12 | comments(1) | trackbacks(0)| - |
社会保障(5各論)
 ここまで(1)〜(4)を通して、社会保障について経済学関連で論じられていることが多いことから、その視点で私なりに勉強してきたことを、総論的に書いてみました。「年金」「医療」「介護」の各論については書くためらいもありますが、経済の面から論じられていたものを、再分配や公平公正という視点で選んで、シリーズの最後にしたいと思います。

 
年金
 個人が年金保険料を払えるのに払わない額、また、事業者が厚生年金への加入や支払いの不正を行っている額は、報道や調査にもよりますが6〜10兆円にものぼるとされています。消費税3〜5%に相当するとんでもない額です。消費税率アップを語る前に必ず解決しなければ道理が通りません。支払い免除や減免制度もありますので、保険料の支払いについての公正性は、しっかりと担保する必要があると思います。マイナンバー制度によりそれなりに適正化されるとも言われていますが、根本的には行政コスト削減も併せて歳入庁を創設すべきだという意見もあります。
 また、詳細な説明は省きますが、いわゆる130万円の壁や34時間の壁を段階化していくこと、更に国民年金1号保険料も定額ではなく累進性を持たせること、最高標準報酬月額を高めていくことは、再分配機能を高めていく観点で必要ではないでしょうか。
 
 支給額について、国民年金のみの年額は最大でも80万円弱です。これで社会保障と言えるような水準なのでしょうか。結局、生活が成り立たずに生活保護になる場合も少なくなく、生活保護に占める高齢者の割合は5割に近づいており、そもそも何のための年金制度なのか理解しがたい状況にすらなっています。国民年金と生活保護との公平性の問題は必ず出てきます。支給額そのものもありますが、医療や介護について生活保護は現物給付となり無料なのも不公平を助長しています。支給額は医療や介護負担などの各種要素も含めた上で、せめて生活保護水準を下回らないようにしていく必要があるのではないでしょうか。このような状況では、老後のための備えとして貯蓄や民間保険にお金が流れていくのは当然のことであり、個人消費に影響し景気にも影響する悪循環の一因になり得るのも理解できます。

 一方で、生活保障保険という基本概念に変更して、支給額を所得や資産による累進性をもたせ、支給ゼロの人もいて良いのではないでしょうか。

 
 

 

 
医療
 高齢化により有病率が高くなり、また、医療の高度化により医療費は増え続けています。この削減のため、医療制度改革や診療報酬の削減が行われています。
 経済の専門家が医療費の無駄として、人生の最後を迎えるにあたっての尊厳について語っていました。経済で語るなんて不謹慎な!とも感じましたが、最も急性期かつ重度病床の7対1病床にまで在宅復帰率が導入された現実を考えると、制度設計ではなく、根本的なことを考える時にあるとも思えてきます。
 北欧の福祉大国であるデンマークやスウェーデンには、「いわゆる寝たきり老人はいない」と、どの福祉関係の本にも書かれています。その理由は、「高齢、進行性の病気や死を迎えざるを得ない病気などで、自分の口で食事をできなくなった場合には、徹底的に嚥下訓練が行われますが、それでも難しい時には無理な食事介助や水分補給を行わず、自然な形で看取ることが一般的です。そのような場合に、肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。それが人間らしい死の迎え方だと考えられていて、胃に直接栄養を送る胃ろうなどで延々と生きながらえさせることは、むしろ非倫理的だと広く国民が認識している」のだそうです((注)ここでは良いか悪いかを論じるつもりはありません)。
 リハビリテーションの理念を埋め込まれた私からすると、いつも障害をもたれた方々に接しているのと同じようなことを、自然と考えてしまいます。人生の最後を迎えるにあたり、その人その人がふさわしい望む最後を迎えられるよう、情報提供など自己決定に向けて援助し、その決定を尊重して寄り添っていくという基本姿勢です。「画一的な入院期間、治療が有る無い、治せる治せない」ではなく、どの病床群であれ、自己決定できるよう援助するに必要な体制と時間が取れるよう、そして自己決定を尊重できるようインセンティブを行っていく必要があると考えます。
 
 


介護
 介護保険分野でも2割自己負担が始まりました。所得に応じた応分の負担は、再分配の原則からしても必要です。しかし、「控除後の所得が160万円以上」が2割も負担しなければならないような水準でしょうか。別に月限度額があるとはいえ、年金制度と併せて考えていかなければならない”そもそも論”の問題でもあると思います。自己負担については1割か2割かではなく、医療とあわせてもっと細かい段階を設け、再分配機能を高めていくのが望ましいと考えます。

 公正という観点から、支給の適正化について一つだけ触れたいと思います。介護保険において最も重要な役割を負われていて、また権限も大きいのが介護支援専門員の方々です。しかし、介護支援専門員が雇用されている場所により、ケアプランが左右されている現実があります。集中減算などで国も対応しようとしていますが、介護支援専門員の方々の専門性が純粋に発揮できるよう、いずれ抜本的に見直していく必要があると思います。市町村への指定権限委譲の時がチャンスなのかもしれません。特に昨今話題が多い各種住宅型施設において、無関係な外部法人の介護支援専門員がかかわることは、もはや喫緊の必須事項だと考えます。



 
Posted by : forest-hokke | 社会保障を考える | 18:13 | comments(0) | trackbacks(0)| - |
社会保障(4再分配)
 資本主義社会のもとでは、必ず格差が生じます。従って必ず必要になるのが再分配であり、資本主義社会には必ず必要な機能です。
 社会保障も、この再分配機能の重要な柱の一つです。税や保険料などにより徴収し、各格差を減らすように再分配します。格差には、単純な貧富の経済格差の他に、世代内格差、世代間格差、地域間格差などがあります。
 経済格差を埋める性質が強い税としては、所得税の累進課税、資産課税、贈与税などがあります。一方で、逆進性(目的の逆の効果が出る=低額所得者層ほど影響大きい)の強い税としては消費税があげられています。あれ?
 
 さて、一昔前の日本は「一億総中流社会」と言われ、貧富の格差は小さいとされてきました。しかし、近年この貧富の格差が拡大していると言われています。様々な論がありますが、「一億総中流社会」と言われていた時代にも格差はありましたが、経済成長しているために顕在化しませんでした。しかし、バブル崩壊以降、デフレ(物価下落)の悪循環に突入し、経済成長しなくなったために格差の問題が顕在化してきたといわれています。
 
 「もはや成熟した社会では、経済成長は望めないとして、むしろ物価が下がること(デフレ)は、低所得者にとっても好ましいことである。財政も経済規模に合わせて緊縮させていくべき」いう論もあります。
 
しかし、経済成長できないことで就職氷河期に入り、この世代の世代内格差は大きく広がりました。経済的理由での未婚や少子も進みました。生活の基盤となる雇用環境は全年齢層で不安定化しました。経済的理由での自殺や軽犯罪も増えたとされています(下図)。
 
そして、経済規模に合わせて財政を緊縮させていく場合には、社会保障費が毎回ターゲットになります。特に年金に至っては、改正が行われる度に全ての年齢層に対して将来不安を与え、それによって更に経済規模を縮小させる悪循環が生じると分析されています。いまや年金だけでは生活できません。老後に備えて貯蓄していかなければ生きていけません。

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 さて、再分配機能を発揮させるためには、格差を埋める方向で徴収し、格差を埋める方向で給付します。下図は、各所得層における徴収と給付を比較することによって、再分配機能を示した図です。各所得における傾斜が強いほど再分配機能が強いということになります。
  徴収(下図の左側)は、税と社会保険料によってなされます。税は、最高税率の議論があるものの一定の累進性(所得に応じた負担)があります。しかし保険料では、健康保険は標準報酬月額121万円が上限となっていて、年金では62万円までしかありません。過去に改正議論がなされて見送られた経緯がありますが、少なくとも年金も健康保険にあわせるなど再分配機能を高めるべきではないでしょうか。 
 一方、給付(下図の右側)では、所得に応じた分配の差が少なく、再分配や保障という機能が弱いことが良くみてとれます(この図は2008年の調査です。現在は医療や介護の負担割合が変わっていて、図上でも若干変わると思います)。年金支給や、医療や介護の自己負担については、次編で書きたいと思います。





 これまで社会保障(2)(3)で書いてきたように、社会保障費の対GDP比や債務残高のGDP比にしても、やはり「経済成長(GDPアップ)を目指し、その成長を適切に再分配していく姿」が健全な豊かな社会といえるのではないかと私には思えてなりません。


(つづく)




 
 
Posted by : forest-hokke | 社会保障を考える | 19:22 | comments(0) | trackbacks(0)| - |
社会保障(3消費税と社会保障)

 前編で、日本の社会保障費の水準について、社会保障費の対GDP比、及び国際比較により、一概に高すぎるとは言えないことを説明しました。 

 では、「なぜ国にお金がない!大変だ!」なのでしょうか。
 それは債務(借金)です。バブル崩壊以降の経済財政政策、金融政策による債務が主因です。
 社会保障を悪者にしないで下さい。

 下図は、債務残高の対GDP比です。

 バブル崩壊以降、急激に伸びてしまっていることがわかります。景気低迷により税収が減り、比率の(分母分子の)分子である名目GPDは低迷、一方で景気刺激策として歳出を増やし、新規国債を発行する。そして国債費(借金返済と金利の支払い)は増え、さらに新規国債を増やしていくという悪循環に陥っています。
 更にこの間の経済財政政策と金融政策の不一致が、悪循環に大量の油を注ぎ、重症化させたとされています。




 
 この悪循環を断つためには、歳出の多くを占める社会保障費を削減するか、税収を増やすしか選択肢は無いという論で、民主党から自民党への政権交代時の三党合意に基づいて、国は「社会保障と税の一体改革」として、「消費税率を上げて社会保障財源に充てるとともに、社会保障の効率化を図り伸びを抑制する」という基本政策を策定し、押し進めています。




 ここまでは、よく聞く話ですが、そのまま受け止めて良いのでしょうか?
 税収を上げようと消費税を上げても、全体の税収は上がらないという側面があるようです。税収は名目GDPに比例すると言われています。日本のGDPのうち約6割は個人消費で占められており、税収増=GDP増のためには、個人消費の拡大が欠かせないとされています。消費税は、この個人消費を冷え込ませるため景気に悪影響を及ぼし、結果として全体の税収は上がらないというのです(下図)。
 消費税率アップと不景気(税収の低下)が、たまたま時期が一致してしまったのならまだ良いのですが、消費税率アップにより景気を後退させて税収を減らしているのなら、言語道断です。
 
 
 ここで大きな疑問がわいてきます。そもそも、なぜ消費税なのでしょうか?
 広く国民から徴収できて(お金がある人からも無い人からも、働いている人からも働いていない人からも)、景気に影響されにくい安定財源という理由のようです。しかし、かえって税収を減らしてしまう可能性があるのであれば、
資産税、環境税、個人や法人の各種租税回避行為への対応など、総合的に税制を再検討しないのでしょうか?


 中には社会保障費の削減などの緊縮財政政策ではなく、名目GDPを上げるために、お金を市場にどんどん供給し、物価を上げ、足りないなら財政出動していくのが良いという論もあります。
 債務残高やプライマリーバランス(財政収支の均衡)自体を目標とするのではなく、GDPとの比率に目を向け、(分母分子の)分子
GDPアップ(経済成長)を目標とするものです。固定化した財源論にまやかされることなく、成長を財源とし、政府や日銀が明確に約束しその責任を負うのです。GDPアップを図るための財政出動の中には、個人消費を上げるための低所得者層に対する直接給付や、社会保障費の削減ではなく、かえって充実させるべきという論も含まれています。
 

 いずれにしても、社会保障費がまるで悪者のように言われる風潮や、社会保障をまるで人質のようにとって消費税を論じる姑息な風潮は、国のあり様として疑問を強く感じざるをえません。
 消費税が社会保障の目的税化している国は、世界中みてもどこにもありません。驚くことに日本だけなのです!

(つづく)



 

Posted by : forest-hokke | 社会保障を考える | 20:58 | comments(0) | trackbacks(0)| - |
社会保障(2社会保障費の大きさ)
 ひと昔前の日本は、終身雇用、専業主婦、多世代同居家族が主でした。日本の社会保障は、良いか悪いかは別にして、これらによって多くの部分が支えられてきたと言っても過言ではありません。しかし、グローバル化といわれる大きな潮流の中で、この社会構造は大きく変化していきました。資本主義国の中でも社会主義的な色彩も併せ持つ立ち位置から、より自由主義・個人主義へと流れていきました。終身雇用制度は崩れ雇用は流動化し、三次産業の割合が増え、都市へ集中し、共働きが増え、同居世代数は減る一方となっています。これに伴い、公的な社会保障の必要性は増す一方となっています。
 これに、根源的要因である少子高齢化等の人口問題が加わり、公的な社会保障の必要度(=社会保障費)は、増加の一途を辿っています。
 下図は社会保障費の推移です。「こんなに急激に増えて大変だ!」「国にお金が無い!」ということで、社会保障費の上昇抑制の政策が取られています。
 
 
 
 
  
 
 ここまでは、よく聞く話ですが、そのまま受け止めて良いのでしょうか?
 昔と今とでは、お金の価値は大きく変わりました。日本の経済は高度成長し、消費者物価、経済規模(GDP)は大きく上昇してきました。しかし上昇の一途ではありませんでした。バブル崩壊がおき、日本の経済は低迷しました。 
  下図は、社会保障費の対GDP比です。経済規模(GDP)に占める社会保障費の割合です。
 1980年代のGDP比は横ばいです。社会保障費が増えたのと同じように、経済成長してGDPが増えたので、割合は変わっていません。
 1990年代にバブルが崩壊し、それ以降も経済は低迷し、社会保障費の増加に追いつけずに比率が増えています。
 2000年代には落ち着きをみせていましたが、2008年に急激に比率が上昇しました。これはリーマンショックによる急激な景気後退による影響を示しています。



 また、日本の高齢化のスピードを考えると、高齢化のスピードにしては、社会保障費への配分は抑えられているとも言える図ではないかと思います。


 
 次は、日本の社会保障の水準について、各国と比較してみます。社会保障費の対GDP比は、下図の通りとなります。少なくとも社会保障費が高すぎると言えるものではありません。




 このように、経済規模に応じて社会保障費を考えていくことが大事だと思います。
 「社会保障費が急激に増えて大変だ!」と、そう単純に言える事ではないことがわかると思います。


(つづく)


 
Posted by : forest-hokke | 社会保障を考える | 14:08 | comments(0) | trackbacks(0)| - |
社会保障(1はじめに)

 社会保障学という「学問」は無いようです。インターネットで検索しても書籍名でヒットはしますが、それ以外には見つかりませんでした。社会保障は社会保障論という「論」として扱われているようです。

 社会保障論を、紐解いてみます。

 「社会学」は、社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を解明するための学問です。しかし、社会学と社会保障の紐付けは意外にも多くはないようです。家族・コミュニティ・人口問題・社会構造は、大きく社会保障に影響するのに・・・

 哲学や文化から論ずることも必要不可欠なのが社会保障だと考えますが、それとの紐付けも少ないといえます。

 一方、最も多いのが「経済学」との紐付けであり、「政策学」関連です。

 良し悪しは別として、タブー視せずに経済の面から社会保障について考えていきたいと思います。

(つづく)




 

Posted by : forest-hokke | 社会保障を考える | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0)| - |
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